DXについて考える 2

前回から1ヶ月、下手の考え休むににたり、で、すっかり年末年始のお休みモードでした。

ただ、”(デジタルなるものの)人間を変えるほどの影響”とすると、DXをITとかシステムとかの言葉で語るのは無理だよな、と思ったりします。で、今、手掛かりにしているのは、東京大学 石田英敬 名誉教授の「新・記号論」ですね、非常に示唆に富んでます。

まだ、中で紹介されている書籍を買って集めている段階(積読)なので、そこからの話をまとめて書けるには至ってないのですが、今回は、立ち位置の話。

立ち位置で言えば、昔から、OA化、システム化、IT化、デジタル化、などなど、なんとか化は、自分の話であったような。要するに、するしないは自分の勝手でした。

経営者が、興味ない、信用しない、他にやることある、となれば(大抵そんな感じ)、別にしなくても良かった。せいぜい、じゃあ、システム部門やっといて、くらいなもの。

しかし、環境変化となるとそうはいかないだろう、というのが、前回の、”「DXへ対応する」ことは、すなわち「経営する」ことである”、です。

例えば、お客さんがデジタルになっちゃうということは、見積もり依頼から、その評価、発注、まですべてデジタルで実施されるということ。いまの株式市場みたいに、アルゴリズムで全てが進む。

「では明日までに見積もり出します」なんて悠長なことは通用しない、依頼には即座に答えなければ、その瞬間に取引はなくなる、なぜなら、デジタルになった競合他社が答えるから・・・

いやいや、フェースtoフェースは残るでしょう、ってのも、危うい気がします。

なぜなら、AIを見ればわかるように「知識」と「操作」の分離は確実に進んでいるから、どうやればいいかを考える”知識を創る人”は必要だし、ますます重要になる、と思うが、その知識をつかって”操作する人”は確実に”機械”?にとって代わられますね。”知識のある人が操作する”のではなくなり、階層分離とともに、時間的にも分離される。

さらに、デジタルは、フェースtoフェースすらデジタルにしちゃう、のだと思います。リアルとデジタルという対比もよく見ますが、どうかなぁ、デジタルもリアルの世界(人間が五感で認識する世界)を構成している、とすれば、そのうち、フェースtoフェースで感じていたことがデジタルにされて意識の中に入ってくるようになるのではと予想できます。

その世界がいつになるのかはわかりませんが、環境変化は確実に起こる、それがDXだと思います。なので、企業として活動する以上、DXするしないではなく、その世界をイメージして、どう対応するか常に考え準備する必要はありますね。

ああ、もちろん、何もしない!、という選択もあります。

カテゴリー: DX